16.2.18

Boran Sathan That Nang Phaya (Khu Huai That) / Ubon Ratchathani

ムアンデッド市街から、ラオス国境の方に向かって南東方向に30kmほど…
周りは田んぼばかりのダート道を進んでいくと、小さな集落の交差点の角に、このような看板が現れます。
何々?
ボラーンサターンタートナーンパヤー(クーフアイタート)(โบราณสถานธาตุนางพญา(คูห้วยธาตุ))って書いてありますが…
  ※他のサイト等で、いろいろな名前の表記がありますが、ここではこの看板表記に従うことにします。
もちろん周りはどローカルの民家のみで、遺跡っぽいものは何も見当たりません。
まあ、もちろん遺跡がもっと先にあるってことは知っているんですが。



ということで、そこからさらに1kmほど…
民家もほぼないようなところに、大きな池が見えてきました。
サテライトビューで見ればわかると思いますが、綺麗に長方形ですし、おそらくバライなんでしょう。



ということで、バライのさらに向こう側に、ようやく見つけましたよ。
ここが入口みたいですね。



正面に見えるのは東門…
ちょうど遺跡の正面側のようです。
遺跡としては、規模はだいぶ小さいですね。



東門のアップ。
なんか、上側に謎の黄色い〇が付いているんですが、なんか意味あるんでしょうか。
でも、ちゃんと入口の枠と破風の部分は残っていて、当時の雰囲気が伝わってきますね。
まぐさ石が無いのは残念ですが、きっとウボン国立博物館に持っていっちゃっているんでしょう。



ピンボケが痛いですが、入口部の足元には、このような足場も残っています。



入口のフレーム部。
なんでこれらをピックアップするかと言うと、他にめぼしい装飾が無いからですよ。



回廊内はこんな感じ。
もちろん東門のところからの視点です。
結構狭いですね。
で、その回廊の中央に小さな祠堂があります。
といっても、上部はなくなっちゃってますけどね。



その祠堂部分はこんな感じ。
クメールの祠堂の階段って、結構逝っちゃってたり、急すぎてまともに登れなかったりするんですが、これは比較的普通に登れそうですね。



基部の上の祠堂本体はこんな感じ。
この辺りのブロックだけ砂岩でできてるようですね。
でも、レリーフは全く残っていない…



内部には、仏像ではなく、ガネーシャ様が置かれていました。
まあ、ヒンドゥーの神様なんで、仏像よりは似合っているかな?



祠堂全体を、斜め前から見てみたところ。
やっぱ砂岩は劣化しやすいんですかね、というか、ラテライトが物持ち良すぎなのかな?



壁面も、とにかくラテライトだけガッツリ残っています。
まあ、積み直したとはいえ、これだけしっかり壁が残っているとちょっとうれしいです。



祠堂を斜め後方より見たところ。
本当にレリーフとか何もないですね…
さみしい。



東門を内側から見たところです。
さあ、帰りましょうか…



May/'16
★★☆☆☆:その県に行ったら、行く候補に入れるべき。
遺跡自体は、まあそこまですごくないです。
まぐさ石もその他レリーフも残ってませんし、規模も小さいですし…
一番の特徴は”タイで一番東のクメール遺跡”ってことでしょうか。
(私が知っている限り…違っていたらごめんなさい)
ただ、その分行くのもすごく大変ですが。
私はまだ乾期の終わりに行ったので、この程度で済んでいますが、雨期に行かれた方は、ダートのぬかるみと、遺跡回りの生え放題の雑草に苦労されていたようです。
公共交通機関で来ようと考えるだけムダそうです。

Google earth 座標(分かるやつだけね)
 14°46'09.35" N
105°17'53.30" E



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