つ~ことで、今回から久しぶりのペチャブン方面周回編に入ります。
まあ、途中&最後の方で遺跡がいっぱい出てきますが、そのあたりはサクッと連発するかもです。

逆引き検索 / search from map

Googleマップから直接探せます。ぱっと見た目で探すならここから。

アマタナコンの食事処 / Restaurant in Amatanakorn

アマタナコンの飯屋を検索しても、一部の有名な日本料理屋以外ほとんど引っかからないので、備忘録としてまとめてみました。
アマタナコンに来た時に参考にしてみていただければ幸いです。
&情報あれば教えてください。

24.10.19

Boran Sathan Jom Prasat / Ratchaburi

博物館のすぐ南に、SCG(サイアムセメントグループ)の工場地帯が広がっています。
いや~、この工場の中に、ボラーンサターンジョームプラーサート(โบราณสถานจอมปราสาท)という遺跡があるらしいんですよ。



あ、ちゃんと看板もあるよ。
入るときのルールっぽいものかな?とりあえずオープンは8時から16時ってことだけ理解できました!
でも、先回、5月に来た時は、ちょっと躊躇してしまい、中に押し入ることが出来なかったんですよ。
博物館記事参照)



なので、今回は羞恥心をかなぐり捨てて…
『ね~え~、警備員のおじちゃん、ぼく、ジョームプラサートに行きたいんだけど…』
OK?
でも、ドライバーさんのIDカード見せろ?記帳しろ?
はいはい、何でもしますよ。



で、警備員のおじちゃんのバイクの先導についていくと、こんな鬱蒼としたエリアに連れてこられます。



だから、読めんってば。



中はこんな感じで、神社みたいな雰囲気の場所が広がっています。



とりあえず、メインのところを…



あ、普通のサーラーもあるよ。



まずは、天辺にある、モニュメントをみるとしますかね。



…こういう瓦礫があちこちに落ちてるんですけど、昔の建物の残骸なのかな?


ということで、天辺に到着~



ええっと…



まあ、確かにラチャブリ国立博物館にあった写真と同じものですね。


でも、まあこれ自体はいかにもイミテーションって感じですね。
土台のラテライトはどうなのかな?



さてっと…



周りに、いかにもな残骸が散らばっているので、反時計回りに見ていくとしましょう。



こういうのって、いかにもクメールっぽいんですけど、あくまでクメールの影響を受けた、ドヴァーラヴァティー時代の遺跡って感じなのかな?




たしかに、ここまでバラバラになっちゃうと、修復とかも厳しそうですね。




でも、メインの遺構がない分、意外に残骸がたくさんあるように感じます。




この位置からの、中央のモニュメント。





ん?



これは、さっきの博物館にあったヤツと同じものかな?





ま、こんなもんですな。



Sep./'19
☆☆☆☆☆:行く価値なし(私の主観です)。
まあ、遺跡マニアとか、タイの歴史フェチとかとにかくすべての遺跡を制覇したいコンプ厨とか…
そういう方以外には、まったく縁のないところでしょう。
幸い?操業中の工場敷地内に侵入しないといけないというハードルの高さもありますし、それを乗り越えられるぐらいの情熱を持った人のみ見られる、人を選ぶスポットです。

Google earth 座標(分かるやつだけね)
 13°51'18.6" N
 99°50'57.9" E



4 件のコメント:

ふうみん さんのコメント...

Chom Prasat の見学レポートを楽しく拝見しました。製紙会社の入り口に遺跡見学の看板があるとは知りませんでした。私も12月に見学予定なのですがタイ語は全くできないので少し心配していましたが、看板もあり見学の要領もわかり安心しました。

この遺跡の Chom Prasat はクメール遺跡であり、下記の点で重要な遺跡と考えます。

クメールの王都アンコールトムから伸びる王道のルートは、全部で5街道が確認されています。その一つが、ロッブリーを経由してムアンシンに至るルートです。ジャヤヴァルマン7世により、王道沿いには宿駅(121ヶ所)や施療院(102ヶ所)が設けられました。その施療院の一つが Chom Prasat であり、王道のルートを解明する遺跡と思います。

また、発掘された石像は観音菩薩立像(ジャヤブッダマハーナータ像)で、ジャヤヴァルマン7世は23の神殿にジャヤブッダマハーナータを奉納したといいます。これまでにインドシナ半島の各地からこの像が18体見つかっており、その内の一体で歴史的に見ても重要なものだと思います。

マレーンポー さんのコメント...

ふうみん様
いつも詳しい情報ありがとうございます。
これ、やっぱりクメール遺跡なんですね。
なんかそれっぽいな~とは思っていましたが。
しかし、ここが施療院ということは、実際には、ロッブリ~ムアンシン間には、もっとたくさんの宿駅や施療院があったってことですよね。
みんな破壊されたりして無くなっちゃったんでしょうか。
それとも、まだ見つかっていないだけで、実は…
みたいなこともあるんでしょうかね。
後者の方が、ロマンがあっていいですが。

ふうみん さんのコメント...

ご指摘の通り、ロッブリ~ムアンシン間の王道沿いに宿駅や施療院は皆無と言っていいですね。だからこそChom Prasatが重要と考えます。なお、この王道は一般的にAルートと呼ばれています。

イサーンのピマーイに続く王道はBルートと呼ばれ、宿駅や施療院の遺跡が数多く残されており、特に施療院は王道にかかわりな居場所にも沢山残されています。これは、一説によるとイサーン地方の治世が不安定のため、ジャヴァルマン7世が民衆の信頼るために意図的に施療院を建造したともいわれています。

その様な事がなかったAルートは、最初から施療院は少なかったのかもしれませんし、1431年のアンコール王国崩壊後、西方部分をシャムに占領されため石材の転用や破壊があったのかも知れません。また、Aルートの宿駅が残されていないのは、木造で建築された可能性が指摘されています。

こんな事を考えながらの遺跡巡りは、まさに歴史のロマンを感じますね。

マレーンポー さんのコメント...

ふうみん様
おはようございます。
この辺は、アユタヤその他いろいろな国や街が発展していたので、建材として使われちゃったんでしょうかね。
もし、木造だとしたら…
でも、基礎とかはラテライト等で組んでそうなので、残っていてもおかしくなさそうですが…
どちらにしても、もったいないです。

ところで、博物館の、観音菩薩立像発掘マップ?に、ワットマハタートペチャブリでも、観音菩薩立像が発見されたということになっています。
ワットガムペーンレーンとは別で表記されていたのですが、もしかして、ペチャブリの街にあるワットマハタートもクメールの神殿だったってことなんでしょうかね。
跡形もない気がしますけど。
もう一か所、スパンブリにเนินทางพระと言うところもあるようですが、GoogleMapで引っかかるのは、タダの田んぼの中のちょっとした土地(林?)で、遺構がありそうな感じはしませんでした。