つ~ことで、今回から久しぶりのペチャブン方面周回編に入ります。
まあ、途中&最後の方で遺跡がいっぱい出てきますが、そのあたりはサクッと連発するかもです。

逆引き検索 / search from map

Googleマップから直接探せます。ぱっと見た目で探すならここから。

アマタナコンの食事処 / Restaurant in Amatanakorn

アマタナコンの飯屋を検索しても、一部の有名な日本料理屋以外ほとんど引っかからないので、備忘録としてまとめてみました。
アマタナコンに来た時に参考にしてみていただければ幸いです。
&情報あれば教えてください。

仏陀の生涯

このブログで取り扱っているスポットの大半は仏教のお寺で、タイのお寺には、仏教の起源というか、仏陀がどういう風に現れたのかを示す壁画やコンクリ像が多々あります。
もちろん私もあまり詳しくないのですが、コンクリ天国や、仏陀の生涯の絵を、更に楽しく鑑賞できるよう、簡単ですがこのページで紹介いたします。

皆さんご存知の通り、仏教は紀元前4~5世紀前、インドで興った。
仏教を開いたのは、北インド東部の王族として生まれた、釈迦という人物。
釈迦は、母マーヤー(摩耶)婦人がルンピニー公園に出かけ、木の枝に手をかけたときに、右の脇から生まれた。
釈迦は生まれてすぐ、7歩あるき(7歩行というそうです)、体には32つの普通の人と違う特徴があった。(32相というそうで、偏平足も多分この中のひとつ)

    
   天上天下唯我独尊の図(ワットシェンクアン/Laos)。
   後ろの母親から、この写真だと4歩ほど前に歩いたところでしょうか…

釈迦を見た仙人は、それが偉大な人物で、偉大な王か、素晴らしい宗教指導者になるだろうと予言しました。
王(釈迦の父)は、釈迦が将来王位を継承できるよう英才教育をし、王宮から出さなかった。
優雅な王宮で育った釈迦は、結婚もし子供もできた。

    
   釈迦、子沢山の図(ワットテープキリウドム/Surin)。
   1、2…何人子供作ったんでしょう…

しかし、外界に対する思いを募らせた釈迦は、御者共にと4回に渡って外に出た。
そこで釈迦が見たものは、今まで彼の見たことのないものばかりだった。
腰の曲がった老人。

    
   腰の曲がった老人、女性に連れられる(ワットレームスワンナーラーム/Samui)。
   でも、どうみても女性を拉致しているようにしか…少なくとも老人の方が積極的です。


病気のひどくなった人たち…

    
   病気になった人たちを見る釈迦(ワットシータートプラマンヤチャー/Udon Thani)。
   まだお偉いさんなんで、上から目線です。


死んだ人の周りに集まり、嘆き悲しむ人たち…
一般ピープルの御者は、「こういう人生の苦悩は、回避することはできないことだ」と釈迦に説明した。
そして、4回目にお忍びで外に出たときに、釈迦は瞑想修行する出家者に出会った。
彼は、一部の人間は家を捨て、肉体に執着せず、瞑想をし精神の満足を求め修行する人たちがいることを釈迦に教えた。
この4回のお忍び(四門出遊というらしい)で、釈迦は今までの王宮の生活に疑問を持つことになった。
結局宮殿には戻ったが、すぐに出家を決意することになる。
夜、宮殿の中で化粧も飾りもせずに、醜い姿で眠りこける妃や侍女を見、改めて今の生活に幻滅をすることになった。

    
   だらしなく眠る妃と侍女(のワットパチャロンタム/Chiang Mai)。
   まあ、乳出してよだれ垂らして寝ていればね…後ろにひっそりと立つ釈迦の姿が悲しい…

結局森で装飾具を脱ぎ、髪を切り、修行者の仲間入りをすることになった。

    
   自ら髪を切る釈迦(ワットバーンチアン/Chainat)。

   この図ですと、御者と連れ出家でしょうか…

釈迦はあらゆる苦行を試し、瀕死になる経験もすることになった。

そのときスジャータという若い娘子から乳粥の施しを受けた。
釈迦はそれを喜んで食べ、まもなく体も回復した。


    
   乳粥を施す小娘(ワットノーンサイチャーオ/Lopburi)。
   ここの天国ですと美人なんですけどね~全員

それからは、釈迦は無理な苦行をすることをやめ、瞑想中心の修行に切り替えた。
瞑想中心の修行によって、心の可能性を追求、やがて外界から解脱することができるようになった。
釈迦はボードガーヤという地にある菩提樹の下に坐して瞑想に入った。
そして、悟りが得られるまでここを動かないことを決意した。

    
   菩提樹の木の下で…の図(ワットポンスナン/Phre)。
いや、いい絵がなかったんです、ブログのほうに。



すべての人々に救済をもたらす悟りの境地に達しようとする釈迦を快く思わない、さまざまな魔が、釈迦の瞑想を邪魔した。
魔王マーラは軍勢を菩提樹に向かわせ、武器ですごい騒音をたて邪魔をしようとした。
マーラの娘は踊りや誘惑で釈迦を邪魔しようとした。


    
   誘惑には負けないぞ!の図(ワットナンターラーム/Chiang Mai)。
   でも、だいぶ痩せこけています。まだ無理してるんじゃ…

釈迦はこれらに気づいたが、これらが自分の瞑想の邪魔にならないことが分かった。
釈迦が右手でそっと大地に触れると、大地の女神が現れた。
マーラは、大地の女神の支援を得た釈迦を見て、瞑想を妨げることができないことを知り、軍勢を引くことになった。
 そして釈迦は悟りの境地に達した。
釈迦はサールナートの鹿野苑にいる5人の修行僧に会い、初めての説法を行った。
仏教の法(ダルマ)、4つの心理(四諦:苦、集、滅、道)…これが仏教の教えの元になった。


    
   説法デビューの図(ワットドンラーン/Phre)。
   重要な場面なんでしょうね…多くのお寺で見られる場面のひとつです。

釈迦は涅槃に達することができるようになったが、他の聴衆に説法を行うため、長い年月地上にとどまることになった。
釈迦は多くの弟子をあつめ、弟子は釈迦と同じように家族を捨て悟りの道を歩んだ。
弟子達はみんなで規律を作った。
さすがにそこまで出来ない一般信者は、僧達に食事、住居などのお布施を行った。

    
   寝転んで喜捨の図(スェナゴンパゴダ/Myanmar)。
   もうこのころには、地面に頭をこすり付けるほど下げないといけなくなってしまったんでしょうか…
   釈迦だけ確実に解脱しています。

釈迦は天界にいる母に説法するため、天界に行き、大きな階段で下界に戻ってきたりと、生涯でいろいろな奇跡をおこした。

    
   天から階段で降りてくるの図(ワットプラノン/Phre)。
   かぐや姫の逆ですね。

これらの奇跡の行為によって、人々に釈迦の超能力の評判が広まっていった。
弟子達が仏法を広めていくのを見た釈迦は、涅槃に入るために、この世を去ることを宣言した。
多くの弟子は嘆き悲しみ、入滅の様子を見守った。
一部の人たちは釈迦が絶対平穏の境地(般涅槃)に到達する場面に立ち会えることを喜んだ。

    
   これから入滅の図(ワットミンムアン/Nan)。
   見守る弟子達、というか生首が並んでいるみたい。
   釈迦がいるところも繭みたいだし。



というのが、仏陀の生涯のお話です。
え?仏陀がどこにも出てこなかったって?
ああ、仏陀というのは”最高の悟りに到達した人”のことだそうです。
つまり、釈迦がその境地に達したときに、釈迦=仏陀になった、ということみたいです。