クーノーイのすぐ裏手…
といっても、1kmぐらい北なんですが、こんなところにもクメール遺跡があるんですよ。
とりあえず看板、看板っと…
ええっと、遺跡の名前は、ボラーンサターンサーラーナーンカーオ(โบราณสถานศาลานางขาว)だって。
タイ語のみだから、見出し以外読む気もしないけど。
でも、พุทธศตวรรษที่ ๑๓-๑๔って…仏歴13~14世紀、つまり西暦だと8~9世紀の、ドヴァーラヴァティー時代のものってことかな。
たしかに、文章の中に、ทวารวดี、ドヴァーラヴァティーの文字がいくつも出てくるし。
まあ、私のタイ語レベルでは解読は100%無理なので、タイ語解読に命を懸けている諸兄のために、拡大写真も載せておきます。
ああ、こちらは配置図側。
では、さっそく行ってみましょう。
それで…
多分南側だと思うんですけど、写真見直すだけだと、分かりにくいですね~
まともな遺構が残っておらず、ラテライトブロックが1段のみ並んでいるという状態なんで、特に写真だと、どこがどんな形になっているのか、まったく把握できないからでしょう。
東方向を眺めても、こんな感じですよ。
とりあえず、遺跡正面、東側から眺めてみました。
いや~ツルぺたですな。
一応サテライトビューを見るとわかるのですが、手前のは、ラテライトが十字の形に並んでいて、その東側と西側の部分だけ、切れ目が入っている…
たそれだけの構造物です。
ということで、奥にある遺構。
というか、最初の配置図だと、さっきの十字には名前がなくて、こっちの遺構だけに、ボラーンサターンサーラーナーンカーオ(โบราณสถานศาลานางขาว)の名前がついてるんですよね。
十字の遺構はどうでも良いってこと?
まあともかく、上に上り込んでみました。
これ、何でしょうね。
これだけ古いと、私の知っているクメール遺跡の知識は当てはまらないのかな?
その先、最奥部にある、長方形のエリア。
そういわれてみると、礼拝堂とかそっち系の跡のようにも見えますが…
長方形の南側にある遺構。
これも、なんだかさっぱりね~
これは北側のヤツ。
仏塔なのかな?
ちなみに、例の配置図は、メインの遺跡部と、城壁(まあ、周りの壁ですわ)、あと結界石しか書いてないし。
ああ、これがその結界石っぽいですね。
やっぱクメールってよりも、ドヴァーラヴァティー遺跡に近いのかな?
ということで、最奥部から、遺跡全体を眺めてみました。
まあ、今感じでツルぺたですよ。
Jan./'20
★☆☆☆☆:行くか行かないかはお任せします…
本当に8~9世紀の遺跡なら、この地方では結構貴重な遺跡だと思うのですが…
こちらのマハーサーンラカーム州文化事務所のページによると、อายุสมัย ราวพุทธศตวรรษที่ ๑๖– ๑๗ สมัยวัฒนธรรมเขมร…
仏歴16~17世紀(西暦13~14世紀)クメール文化の時代ってなってますし、12世紀ごろの古代クメール語の碑文が見つかった的なことも書かれてますし…
何が正しいんでしょう。
良くわかりませんな。
Google earth 座標(分かるやつだけね)
15°42'42.8" N
103°16'12.3" E
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